2010年4月26日月曜日

傘、修理します。

いまどき、傘を修理して使う人が何人いるのだろうか?
せっかくのこの看板がなんだかかわいそうに見えてしまう。


よいものを大切に末永く使う、というスタンスは失われたのか?

安価に買い、刹那的に消費する。壊れても悔しくないから安易に捨てる。100円ショップに行くな、とは言わないが、壊れたら直したくなるものを所有するというのも大切なことだ。

こういうことは様々な大切なこととリンクしている。よいものを大切に使うというのは文化であり、国の民度の高さに他ならない。

作り手はよいものを作って相応の値段で売り、買い手も価値を理解した上で対価を支払う。つまり、買い手にも相場観が求められる。自分の作品を展示会に出品したときに感じる日本と欧州の一番大きな違いはここにある。今の日本には、何か新しいものに出会ったときに、自分なりの価値観を持って値段をつけられる人が圧倒的に少ない。ベンチャービジネスがいまひとつもりあがらないのも同じ理由だと思う。

対価を支払い、ものを手にした時点で、そのものとのおつきあいがはじまる。はじめはおそるおそるすべてにおいて過剰に大切に扱うが、そのうちに使い方やメンテナンスの要点が見えてくる。ものをよく理解した人の扱いは、時に一見乱暴そうに見えることもあるが、決してものを傷めず、機能を最大限に引き出している。(すぐに何人かの人の顔が浮かぶナぁ。。)

大切に使わずに壊れてしまったのなら、それは使い手が悪いのだ。顧客に対してはっきりとこう言い返すことも時には必要だろう。ものを媒介に作り手と買い手はお互いに高めあう存在であるべきだ。

自分なりの価値観を持って値段をつける、ということに関しては、「デザイン」という実態のない知的財産のようなものになると事態はもっと深刻だ。深刻すぎて胃が痛くなりそうなので、人間ドック前日の今日ではなく、また別の機会に書きたいと思います。



Kota Nezu | znug design, inc.

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