2010年4月28日水曜日

ワカモノグルマ(死語)とチョイワルオヤジ(死語)

ひとつの極論を言いましょう。
「世の中のオッサンがカッコ悪いから、若者がクルマを買わないのだ!」

ケータイの通信費がかさんでクルマを買う余裕がない?
それはまぁそうなんでしょう。

身の丈消費で、ライフスタイルに合わない大きな買い物をしない?
そんなこともあるかもしれません。

ファミリー層に訴求するミニバン中心のラインナップになったから?
もうどうでもいいです、そんなこと。

こんなことを全部どこかへふっとばして、若者がクルマを買うモチベーション。

それは「憧れ」。

カッコイイオッサンがカッコイイクルマに乗っていたら、いつかはオレもとなるわけです。
でも10年待つほど呑気じゃないから、身の丈にだいぶ余る買い物もしちゃうわけです。

だから若者にクルマを売りたければ、カッコイイオッサンを育成するクルマを考えればいいのです。

幸運なことに自分のまわりはカッコイイオッサンだらけです。余裕でカッコイイクルマをブン回してます。
オレもカッコイイオッサンになろう、と本気で思ってます。



なんてことも考えながら、オートスタッフ末広のカッコイイオッサンたちと作りました、このOuroboros

ほかにもいろいろ考えたり、何も考えなかったりしながら作ってますが、その話はまた今度。(こればっかりですね。)

2010年4月26日月曜日

傘、修理します。

いまどき、傘を修理して使う人が何人いるのだろうか?
せっかくのこの看板がなんだかかわいそうに見えてしまう。


よいものを大切に末永く使う、というスタンスは失われたのか?

安価に買い、刹那的に消費する。壊れても悔しくないから安易に捨てる。100円ショップに行くな、とは言わないが、壊れたら直したくなるものを所有するというのも大切なことだ。

こういうことは様々な大切なこととリンクしている。よいものを大切に使うというのは文化であり、国の民度の高さに他ならない。

作り手はよいものを作って相応の値段で売り、買い手も価値を理解した上で対価を支払う。つまり、買い手にも相場観が求められる。自分の作品を展示会に出品したときに感じる日本と欧州の一番大きな違いはここにある。今の日本には、何か新しいものに出会ったときに、自分なりの価値観を持って値段をつけられる人が圧倒的に少ない。ベンチャービジネスがいまひとつもりあがらないのも同じ理由だと思う。

対価を支払い、ものを手にした時点で、そのものとのおつきあいがはじまる。はじめはおそるおそるすべてにおいて過剰に大切に扱うが、そのうちに使い方やメンテナンスの要点が見えてくる。ものをよく理解した人の扱いは、時に一見乱暴そうに見えることもあるが、決してものを傷めず、機能を最大限に引き出している。(すぐに何人かの人の顔が浮かぶナぁ。。)

大切に使わずに壊れてしまったのなら、それは使い手が悪いのだ。顧客に対してはっきりとこう言い返すことも時には必要だろう。ものを媒介に作り手と買い手はお互いに高めあう存在であるべきだ。

自分なりの価値観を持って値段をつける、ということに関しては、「デザイン」という実態のない知的財産のようなものになると事態はもっと深刻だ。深刻すぎて胃が痛くなりそうなので、人間ドック前日の今日ではなく、また別の機会に書きたいと思います。



Kota Nezu | znug design, inc.

本来とは違う使い方

並べられたコマの色をあてるゲームなのですが、回して遊ぶほうのコマになっています。
さすがクラスのコマ回しチャンプです。
この場合はどうだかわかりませんが、本来とは違う使い方で、ものすごい威力を発揮するというのは、よくあることですね。




Kota Nezu | znug design, inc.
場所:自宅

2010年4月25日日曜日

吉祥寺

人が暮らしているという感じがする。





Kota Nezu | znug design, inc.
場所:ハモニカ横町 吉祥寺 東京

2010年4月23日金曜日

日本(人)崩壊


大型家電量販店の携帯音楽プレイヤー売り場。
おそらくズラリと並べてはりつけてあったであろう、iPodシャッフルのサンプル。

これがもう一個もないんですよ。





Kota Nezu | znug design, inc.
場所:吉祥寺 東京

2010年4月15日木曜日

digital divided, real connected.

ひとりはぼーっと。ひとりはケータイメールに熱中。
だけどプレイヤーのヘッドフォンはシェア。
なんだか少しほっとした気持ちになる。


Kota Nezu | znug design, inc.
場所:豊田市 愛知