2010年5月20日木曜日

大事そうなものを大事そうに

大事そうなものを大事そうに運んでいる。




映画の世界なら、こっちはフェイクで、ほんとうに大事なものは、軽装の女性が小さなカバンに入れて、涼しげな表情で運んでいたりする。こっちを追いかけている間に、ほんとうに大事なものは、危険な目にあうことなく目的地に到着する。

しかし、治安レベルの高い国であれば、大事なものは、やはり大事そうに運ぶんだと思う。プロテクタを着込んで運んでいる人たちに戦いを挑むのはかなり無謀なことに思えるし、仮にここを逃れても、警察が追ってくるだろうし、現金ならその番号からいろいろと割り出されてしまうので、使うこともできない。

そんなふうに考える人が多い国では、大事なものは大事そうに運ぶべきだ。



さて、これはほんとうに大事なものを運んでいるのだろうか?



Kota Nezu | znug design, inc.

2010年5月18日火曜日

想像がふくらみます。。

多目的、という言葉。確かに普通のトイレに比べれば、障害のあるかたに対しての配慮があったり、赤ちゃんのオムツが変えられたり、より機能が多いのは間違いない。

しかし、この中であんなことやこんなことまではしてはいけないはずで、ちょっと期待させすぎな気がする。

あいまいな表現は、より多くの可能性を提示できるが、同時に、情報の受け手の人間性への依存度も高くしてしまう。




Kota Nezu | znug design, inc.

2010年5月13日木曜日

たりないものは?

背筋力か、配心力か、両方か。






Kota Nezu | znug design, inc.

2010年5月12日水曜日

混んでいる車内で脚を組む。

アンテナ折れてるナぁ。。

感じなければ、考えられない。
考えられなければ、動けない。

このブログのテーマです。





Kota Nezu | znug design, inc.

2010年5月2日日曜日

人をしあわせにするもの、続き

カエルが大好きなのですが、今日はこれに釘付けになりました。




おなじみグリコのプリッツなのですが、箱がカエルに見立てたデザインになっています。絵柄の腕のところにミシン目が入っていて、トートバッグなどにひっかけると、お出かけのお供としてつれていけますよ、というアイデア。

この箱のための新しいデザイン、ミシン目の追加、などの原価はもちろんゼロではないわけですが、このちょっとしたことで自分はずいぶんとしあわせになりましたし、結局、購入することになりました。


装着完了です。とぼけたまなざしがラブ☆

Kota Nezu | znug design, inc.

2010年5月1日土曜日

人をしあわせにするもの、見立ての考察


朝、起きたら眼前に広がっていた光景。なんだかほんものの風景みたいで、どこからか「ポッポポ~」というアルムな音が聞こえてきそうだ。

正体は子供が遊び半分で並べた動物型のクリップだが、適切なレイアウトと起き抜けというタイミングの組み合わせによって、絶大な効果を発揮した模様。さわやかに楽しく目覚めることができた。

人を幸せにするのに、いったいどれくらいの「モノ」が必要なのか?
多ければ多いほど、受け取る側がどんな人であっても、「フツウに」喜んでもらえる確率は増えるだろう。

しかし、ちょっとした「モノ」であっても、そこに大きなシナリーを出現させることもできる。人は「見立て」ることができるからだ。自分の中にある様々な追憶をたどって、あるいは、まだ見たこともない想像の世界に遊びながら、ほんの小さなトリガーから壮大な物語を創出することができる。

枯山水や結界などの例をあげるまでもなく、日本人はそもそもこうしたことに優れた民族だ(った)。見立てるためには、自分の中にリファレンス先がなくてはならないから、文化的に豊かな人ほど、ちょっとしたことにも宇宙を感じる、というようなことがおこるわけだ。

そしてまた、子供たちも「見立て」の天才である。おもちゃというのは何かのフェイクであることも多いが、そこに本物以上の喜びを見出し、たとえ粘土であろうが泥であろうが、本物以上においしい料理を作ってしまう。仮面ライダーの変身ベルトを装着すれば、脳内麻薬垂れ流し状態でライダーに変身できるのだ。(自分は今でもできます。)

少しくらい何か足りないほうが、人の創造力は発揮されやすい。四方八方よくできたものに囲まれた生活は、たしかに文明的なのだろうが、人を文化的にはしないのかもしれない。


Kota Nezu | znug design, inc.
場所:自宅