2010年7月21日水曜日

井の頭公園で

すばらしい歌声を聴きました。

宮崎からこちらに来たばかりの二人組、風雲地の森本さんと一休さん。



Kota Nezu | znug design, inc.

場所:1丁目,武蔵野市,日本

2010年7月18日日曜日

手帳とおサイフ、電子デバイスの身体性

マーシャル•マクルーハンは、人が創り出す道具はすべて人の拡張であると述べた。(人間拡張の原理 1967)

クルマはそもそも脚の拡張であったはずだが、情報化の流れの中で、感覚器官と脚が統合された人の拡張デバイスとして再定義を試みたのが、トヨタ時代に愛知万博で提案した i-unit だった。感覚器官で移動をモティベートし、脚でその移動をシームレスに実現する。移動先を狭めたくなかったので、人間と交わることができる直立形態と高速移動ができる低重心の走行形態が必要だったわけだ。

前置きが長くなりました。

ケータイやら電子手帳(死語)やらといった電子デバイスは、技術的にはかなりの小型化ができる上に、その小さなボディに多彩な(雑多な)機能を押し込めるだけに、いったい人の何の拡張ととらえ、どのような身体性を持たせたらよいのかと思うことがあります。

自分は一般的なケータイとiPhoneの両方を使っているのですが、最近、自分のこうしたものの使い方を振り返って気づいたことを書いてみようと思います。

両方ともまず間違いなく携帯電話であり、そのようにも使っているので、私の中で携帯電話としての身体性は持っています。

しかし、それだけではどうやら足りないようなのです。携帯電話という定義だけでは足りず、メタファーとして他のものも潜り込ませてしまっているようです。

ケータイはおサイフ、iPhoneは手帳。

おサイフケータイの便利さにすっかりやられて、コンビニの支払いはほとんどケータイです。新幹線も飛行機の国内線もすべてケータイさえあれば乗ることができます。おサイフを取り出す場面でケータイを取り出すことが増えると、自然とケータイはおサイフとしての身体性を獲得していくようです。

iPhoneのフリック入力は、これまで同様サイズのデバイスを数多く使ってきた中で、私としては初めて長文を入力する気にさせるものでした。ほぼ考えるスピードに遅れることなく入力できます。QWERTY配列のキーボード以外に答えがあったことにも驚きました。手帳を取り出す場面でiPhoneを取り出すようになると、iPhoneは私の中で手帳としての身体性を獲得していきます。(相変わらずスケッチは手描きですが。。)

気付けば、バッグの中でそれぞれ入れている場所もおサイフのそばと手帳のそばです。手帳は革製品ですが、なるほど、iPhoneにも革ケースです。

たったこれだけのことを言うためにここまで引っ張ったのか、というと、そうなのです。ゴメンナサイ。でも自分的には大発見だったのです。

自分の中では、おサイフケータイがおサイフとしての身体性を持ち、iPhoneが手帳としての身体性を獲得していることが、とても意味のあることに思えたのです。

あとは、そういうデザインをするだけだナぁって思うのです。


そのまんまネーミング

お食事中の方がいらしたら申し訳ありません。

トレールペーパーです。

なんだそりゃって、だからトレールんですよ。

こんなダイレクトなネーミングはありえない、そんなのゼッタイ許さないって思いながら、すっかりこのネーミングを覚えてしまっていることに敗北感を禁じ得ません。避難器具オリロー以来の衝撃です。小林製薬さんもびっくりです。





znug design ってどうなの、というみなさんの声が聞こえてきます。

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場所:自宅

2010年7月1日木曜日

Ouroboros と 691236

いよいよ発売になります!

どちらもちょっと不思議な名前ですが、これまたどちらも商標登録にドラマがありました。

商品の詳細はぜひウェブで。。




www.ouroboros.tv




www.691236.com


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マイスター!

ペンがひっかかると、クリエイションもひっかかる。なんだかそんな気がして、ずっと心のトゲになっていたことが、先日、見事に解決しました。

自分はアイデアを考えながらスケッチするとき、いつも決まった万年筆を使います。

紙とペン。なにかを突然に思いついたとき、ノートを開いて、ペンのキャップをはずしている間に、どのようにまとめようかと考えます。ペンのキャップをクルクルと回す間に、自分の頭もいつもよりは回転が増します。紙にペンを滑らせると、よいアイデアもスルスルと頭の中から引っ張り出されてくるようです。

そんな大切なペンを、あるとき路上でメモをとっているときに落っことしました。ペンは大切なペン先から真っ逆さまに路面へ向かいました。

泣く泣く修理に出し、きちんと元通りになって戻ってきたのですが、なにかが違う。。自分の思考のスピードより、ちょつとだけペンが遅くてついてこない感じ。

でもまぁ、きちんと使えますし、しばらくしたら慣れるとも思い、そのまま数ヶ月が経ちました。



やっぱり気になるー!!!



ということで、半ば衝動的に向かったモンブラン銀座フラッグストア。なんとそこには、マイスターが! イベントのために心斎橋店からいらしているとのこと。幸運に感謝しつつ、調整をしていただくことに。

使う道具は、至ってシンプル。隙間ゲージのような金属板、ピンセット、砥石、そして、「手」。ペン先の微妙な間隔をルーペで見ながら指で慎重に調整していきます。

数分の調整作業の後、試し描きしてみると、まさに自分の求めていた描き味がそこに!

自分の手足として使うものは、ちょっとした違和感でもモチベーションに影響します。文字通り、「ひっかかる」のです。

これで今までよりいいアイデアがどんどん出るハズ! そうならなかったら、こんどは頭を調整に出します。




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場所:銀座

2010年6月13日日曜日

シンクロ率 120%

なんかすごい!



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2010年5月20日木曜日

大事そうなものを大事そうに

大事そうなものを大事そうに運んでいる。




映画の世界なら、こっちはフェイクで、ほんとうに大事なものは、軽装の女性が小さなカバンに入れて、涼しげな表情で運んでいたりする。こっちを追いかけている間に、ほんとうに大事なものは、危険な目にあうことなく目的地に到着する。

しかし、治安レベルの高い国であれば、大事なものは、やはり大事そうに運ぶんだと思う。プロテクタを着込んで運んでいる人たちに戦いを挑むのはかなり無謀なことに思えるし、仮にここを逃れても、警察が追ってくるだろうし、現金ならその番号からいろいろと割り出されてしまうので、使うこともできない。

そんなふうに考える人が多い国では、大事なものは大事そうに運ぶべきだ。



さて、これはほんとうに大事なものを運んでいるのだろうか?



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2010年5月18日火曜日

想像がふくらみます。。

多目的、という言葉。確かに普通のトイレに比べれば、障害のあるかたに対しての配慮があったり、赤ちゃんのオムツが変えられたり、より機能が多いのは間違いない。

しかし、この中であんなことやこんなことまではしてはいけないはずで、ちょっと期待させすぎな気がする。

あいまいな表現は、より多くの可能性を提示できるが、同時に、情報の受け手の人間性への依存度も高くしてしまう。




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2010年5月13日木曜日

たりないものは?

背筋力か、配心力か、両方か。






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2010年5月12日水曜日

混んでいる車内で脚を組む。

アンテナ折れてるナぁ。。

感じなければ、考えられない。
考えられなければ、動けない。

このブログのテーマです。





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2010年5月2日日曜日

人をしあわせにするもの、続き

カエルが大好きなのですが、今日はこれに釘付けになりました。




おなじみグリコのプリッツなのですが、箱がカエルに見立てたデザインになっています。絵柄の腕のところにミシン目が入っていて、トートバッグなどにひっかけると、お出かけのお供としてつれていけますよ、というアイデア。

この箱のための新しいデザイン、ミシン目の追加、などの原価はもちろんゼロではないわけですが、このちょっとしたことで自分はずいぶんとしあわせになりましたし、結局、購入することになりました。


装着完了です。とぼけたまなざしがラブ☆

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2010年5月1日土曜日

人をしあわせにするもの、見立ての考察


朝、起きたら眼前に広がっていた光景。なんだかほんものの風景みたいで、どこからか「ポッポポ~」というアルムな音が聞こえてきそうだ。

正体は子供が遊び半分で並べた動物型のクリップだが、適切なレイアウトと起き抜けというタイミングの組み合わせによって、絶大な効果を発揮した模様。さわやかに楽しく目覚めることができた。

人を幸せにするのに、いったいどれくらいの「モノ」が必要なのか?
多ければ多いほど、受け取る側がどんな人であっても、「フツウに」喜んでもらえる確率は増えるだろう。

しかし、ちょっとした「モノ」であっても、そこに大きなシナリーを出現させることもできる。人は「見立て」ることができるからだ。自分の中にある様々な追憶をたどって、あるいは、まだ見たこともない想像の世界に遊びながら、ほんの小さなトリガーから壮大な物語を創出することができる。

枯山水や結界などの例をあげるまでもなく、日本人はそもそもこうしたことに優れた民族だ(った)。見立てるためには、自分の中にリファレンス先がなくてはならないから、文化的に豊かな人ほど、ちょっとしたことにも宇宙を感じる、というようなことがおこるわけだ。

そしてまた、子供たちも「見立て」の天才である。おもちゃというのは何かのフェイクであることも多いが、そこに本物以上の喜びを見出し、たとえ粘土であろうが泥であろうが、本物以上においしい料理を作ってしまう。仮面ライダーの変身ベルトを装着すれば、脳内麻薬垂れ流し状態でライダーに変身できるのだ。(自分は今でもできます。)

少しくらい何か足りないほうが、人の創造力は発揮されやすい。四方八方よくできたものに囲まれた生活は、たしかに文明的なのだろうが、人を文化的にはしないのかもしれない。


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場所:自宅

2010年4月28日水曜日

ワカモノグルマ(死語)とチョイワルオヤジ(死語)

ひとつの極論を言いましょう。
「世の中のオッサンがカッコ悪いから、若者がクルマを買わないのだ!」

ケータイの通信費がかさんでクルマを買う余裕がない?
それはまぁそうなんでしょう。

身の丈消費で、ライフスタイルに合わない大きな買い物をしない?
そんなこともあるかもしれません。

ファミリー層に訴求するミニバン中心のラインナップになったから?
もうどうでもいいです、そんなこと。

こんなことを全部どこかへふっとばして、若者がクルマを買うモチベーション。

それは「憧れ」。

カッコイイオッサンがカッコイイクルマに乗っていたら、いつかはオレもとなるわけです。
でも10年待つほど呑気じゃないから、身の丈にだいぶ余る買い物もしちゃうわけです。

だから若者にクルマを売りたければ、カッコイイオッサンを育成するクルマを考えればいいのです。

幸運なことに自分のまわりはカッコイイオッサンだらけです。余裕でカッコイイクルマをブン回してます。
オレもカッコイイオッサンになろう、と本気で思ってます。



なんてことも考えながら、オートスタッフ末広のカッコイイオッサンたちと作りました、このOuroboros

ほかにもいろいろ考えたり、何も考えなかったりしながら作ってますが、その話はまた今度。(こればっかりですね。)

2010年4月26日月曜日

傘、修理します。

いまどき、傘を修理して使う人が何人いるのだろうか?
せっかくのこの看板がなんだかかわいそうに見えてしまう。


よいものを大切に末永く使う、というスタンスは失われたのか?

安価に買い、刹那的に消費する。壊れても悔しくないから安易に捨てる。100円ショップに行くな、とは言わないが、壊れたら直したくなるものを所有するというのも大切なことだ。

こういうことは様々な大切なこととリンクしている。よいものを大切に使うというのは文化であり、国の民度の高さに他ならない。

作り手はよいものを作って相応の値段で売り、買い手も価値を理解した上で対価を支払う。つまり、買い手にも相場観が求められる。自分の作品を展示会に出品したときに感じる日本と欧州の一番大きな違いはここにある。今の日本には、何か新しいものに出会ったときに、自分なりの価値観を持って値段をつけられる人が圧倒的に少ない。ベンチャービジネスがいまひとつもりあがらないのも同じ理由だと思う。

対価を支払い、ものを手にした時点で、そのものとのおつきあいがはじまる。はじめはおそるおそるすべてにおいて過剰に大切に扱うが、そのうちに使い方やメンテナンスの要点が見えてくる。ものをよく理解した人の扱いは、時に一見乱暴そうに見えることもあるが、決してものを傷めず、機能を最大限に引き出している。(すぐに何人かの人の顔が浮かぶナぁ。。)

大切に使わずに壊れてしまったのなら、それは使い手が悪いのだ。顧客に対してはっきりとこう言い返すことも時には必要だろう。ものを媒介に作り手と買い手はお互いに高めあう存在であるべきだ。

自分なりの価値観を持って値段をつける、ということに関しては、「デザイン」という実態のない知的財産のようなものになると事態はもっと深刻だ。深刻すぎて胃が痛くなりそうなので、人間ドック前日の今日ではなく、また別の機会に書きたいと思います。



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本来とは違う使い方

並べられたコマの色をあてるゲームなのですが、回して遊ぶほうのコマになっています。
さすがクラスのコマ回しチャンプです。
この場合はどうだかわかりませんが、本来とは違う使い方で、ものすごい威力を発揮するというのは、よくあることですね。




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場所:自宅

2010年4月25日日曜日

吉祥寺

人が暮らしているという感じがする。





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場所:ハモニカ横町 吉祥寺 東京

2010年4月23日金曜日

日本(人)崩壊


大型家電量販店の携帯音楽プレイヤー売り場。
おそらくズラリと並べてはりつけてあったであろう、iPodシャッフルのサンプル。

これがもう一個もないんですよ。





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場所:吉祥寺 東京

2010年4月15日木曜日

digital divided, real connected.

ひとりはぼーっと。ひとりはケータイメールに熱中。
だけどプレイヤーのヘッドフォンはシェア。
なんだか少しほっとした気持ちになる。


Kota Nezu | znug design, inc.
場所:豊田市 愛知